July 2009
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児童文学を読んでいたころ、そこに出てくるのは女の子だった。大人の本を読み始めた九歳頃、私は「少女」というものに出会った。 「少女」は女の子とははっきり言って関係がない。 それはすぐにわかった。 それはとても抽象的な存在だ。女の子や人間よりは妖精に近い。ただ、女の子と同じ姿形をしているのでとても間違われやすい。 「少女」は素敵なものだ。それは純粋で奇麗で観念的だ。 でも当然気付く、「少女」はすぐに大人の男の人に利用されるのだ。 それは無垢で悪魔で天使でいたずらで非日常で無邪気で神秘的で繊細で元気で優しくて残酷で甘えん坊でわがままで弱くて強くて無口でおしゃべりで白痴で悩みがなくて憂いに沈んで無表情で明るくておてんばで物静かでこわがりでなにもこわくなくて何も知らなくて何でも受け入れてくれて潔癖で閉鎖的な性質を持っている。...
Jul 7th
(自分がちゃんと認められていない)つまらない日常から、夢の世界へと連れだしてくれる少女(という名の自我充電用妄想)を求める人が沢山いるけれど、大抵一面的にしか少女を見ていない。少女が期待通りじゃなかったらどうするの? 少女に飽きたらどうするの? ブルトン「ナジャ」などなど、そのような話はたくさんあるけれど、主人公が飽きてもてあます頃になるとみんな発狂したり自殺したりして消えてくれるんだよね。 みもこころもあなたのものになろうという女の子に対してそれでも飽きるということは現実にはいくらでもあるわけで、それでも大抵その女の子は発狂も自殺も失踪もしない。その時あなたはどうするの? と思うのです。妄想が現実化したとき、それをきちんと扱うことができるのか知りたいのです。 (二階堂奥歯 『八本脚の蝶』 pp257-258)
Jul 7th
「そのひとと、きちんとつき合ってたの?」 「うーん、なんとなく」 「体が目当てだったの?」 「いや、そういうわけでもなかった」 「何か、割り切った関係という以上のこと、相手の心に触れて、揺さぶるようなことを云ったりやったりしたんじゃないの」 「……うん」 「相手が本気になるようなこと」 「何故、そんなことしたの」 追いつめられた私は、小さな声で応えた。 「体だけでなく、心も自由にした方が楽しいから」 私の答えの非道さに、女性陣からはあきれかえったようなブーイングが起こったが、吉野さんだけは、ふっと笑ってこう云った。 「最初からそう云えばいいんだよ」 (穂村弘 『もうおうちに帰りましょう』 小学館 pp28-29)
Jul 4th